ゴロゴロ転がり日々行進

気だるい社畜の雑記。

初音ミクと歌い手に思っていたこと(『初音ミクの消失』シリーズによせて)

 

その昔、私は『初音ミク』が大好きだった。

そして彼女の歌を歌う『人間』は、嫌いだった。

 

 

初音ミクブームが成長期の真っ只中だった2010年代。

中学生の私は友人のすすめでVOCALOIDなるものを知り、以後今に至るまで約10年、機械の歌声を愛し続けている。

今でこそ詩やメロディの良さを重視して楽曲を聴くものの、私が2014年くらいまで重視していたのはキャラクターであった。

初音ミクのための曲が好きだった。

彼女の絵や動画が付いている曲も好きだった。

VOCALOIDの曲を聴く時も、曲や動画の中心にキャラクターがいることは大前提だ。

もはや信者的とすら言える。

初音ミクを主人公とした『初音ミクの消失』なんかには特に熱狂し、

もう何世代前だか知れないiPod shuffleにアルバム全曲入れて無限ループしたものである。

 

 

それからしばらく経ち、いわゆる「歌い手」が商業デビューする流れが形成され始め、

私は過激派とは行かないまでも苦い顔をしていた。

自分も歌ってみたいと思うことはあったが、それはカラオケを友達に披露するような感覚で、

ライブをして有名になることやキャーキャー持て囃されることとは違う。

それはあの子のための歌なのに。

初音ミクの声でなければ、初音ミクのバックボーンがなければ意味がないのに。

「描き手」「踊り手」などとは違って、明確に『歌』というVOCALOIDの存在意義を否定している。

人気取りの踏み台にされている、と。

 

今思えば傲慢なことだ。

きっと多くの人々は本当に曲と初音ミクに感化されて歌い、それが人々を惹きつけただけだった。

それに加えて実力があるから、評価されて生き残る。

実際有名になりたいと考えて「歌い手」になった人間がいようとも、

最初に曲を聴いた時の感動自体はきっと全員に共通する。

 

しかし当時『消失』に影響され初音ミクをひとりの人間のように思っていた私にとって、

彼らの存在は一時期本当に堪え難かった。

あまりにも好きだったため、架空のものに肩入れしすぎていたのだ。

「?その歌はだれのものなのか?」(『初音ミクの戸惑』)

その言葉がずっと胸にあった。

頑なに、それは貴女だけの歌だと心の中で主張し続けていた。

 

(……楽曲PVにVOCALOIDキャラクターが登場しなくなってきた頃も似たようなことを思ったが、

その辺は歌っているのがVOCALOIDなのでまだ穏やかに見ていた記憶がある。

この辺はVOCALOIDブームと物語音楽の関連性ということで色々とまた別軸で考えている……閑話休題。)

 

 

 

さて、ここ3年ほどで私は歌い手の動画をよく見るようになった。

存在を許した……というレベルにとどまらず、「この声でないとダメだ」と思うほど好きになる投稿者もいる。

何故か?

答えは簡単。『歌声合成ソフトでは表現力が追いつかない』のだ。

 

歌声合成ソフトによる楽曲は近年一般化し、ひとつのジャンルを築いていった。

するとブーム初期によく見られたような、キャラクターのためにある歌詞・四つ打ち・打ち込みのメロディ(往年のアイドルソングっぽい)にとどまらず、

誰でもない人間を物語る音楽や、大衆曲に見られる多様な楽器の使用、人の声でなければ物足りないような音の運びが増えた。

有り体に言えば、それらは「人のための曲」そのものだった。

 

特に音の運びは、機械の歌声ではどうしても単調・冗長になりやすい。

neutrinoなど新たな技術は生まれているものの、まだ人には追いつかず、息や喉の震えまではしっかり再現できない。

すると当然、がなりや掠れ声のような技術を自在に使える人間の方に、表現力の点で軍配が上がる。

原曲より歌い手verの方が伸びる現象も、恐らくこういうところに理由の一端があるのだろう。

 

それに抗うような流れが、俗に言う「ボカロっぽい」要素――早口・高音などの、人間が歌うのには適さない要素を備えた楽曲の台頭だったと思うが、

現在はその両者が混在している状況と言える。

まあそれすらも歌いこなして自分のものにしてしまえる投稿者がゴロゴロいるんだけども。

 

VOCALOIDはまだ人間に勝てない。

いや勝ち負けではないが、少なくとも表現力は敵わない。

いくら神調教と言われても、人間の腹と喉から自然に繰り出される、質量を持った息と声の前には太刀打ちできないのだ。

それを悟って、私はつまらない意地を張ることをやめた。

VOCALOIDキャラクターではない誰かの物語を語る歌が増えて、

歌い手の人々による独自の表現が足されて、

それによってこの曲がますます良くなったと、純粋に言えるようになった。

 

キャラクターたちのことは今でも好きだ。

初音ミクは今や単体でサブカルチャーの伝説となり、

人に歌われた位で存在が霞むようなものではなくなっていた。

ニコニコ動画という地下から、既に世界のトップアイドルとなって出ていったのだ。

彼女らには立派に歩んできた歴史がある。

「人のための曲」を歌う代替楽器としても、キャラクターとしても、

とっくにその地位を確立している。

つまり、心配する要素など今のところないという訳である。

 

かくして私は過激派の鎧をようやく脱ぎ去った。

今は仕事で死にかけながら隙あらばニコニコ動画YouTubeに入り浸って、

時々音楽カテゴリを覗くような生活を送っている。

最近はめいちゃんさんや腹話さんが好きである。

 

 

 

なぜこれを日記にしたかと言うと、

大好きな『初音ミクの消失』シリーズが作曲者であるcosMo@暴走Pによって2年ほど前に順次リメイクされていたのを、

つい今しがたYouTubeで発見したからであった。

『消失』は私の青春だ。その動向に2年も気づけなかったのは不覚の極みと言わざるを得ない。

 

私が「初音ミク」を「個」として認識するに至った作品群。

大人になった今も考えの根底は変わらない。

しかし、本当に彼女が5年後には忘れられるかもしれないと思ったあの頃、

彼女の境遇の不安定さに半ばハラハラしながら聴いた頃とは、すっかり違う曲になっていた。

 

 

 

「?その歌はだれのものなのか?」

もう答えに迷うことはないだろう。