ゴロゴロ転がり日々行進

気だるい社畜の雑記。

初音ミクと歌い手に思っていたこと(『初音ミクの消失』シリーズによせて)

 

その昔、私は『初音ミク』が大好きだった。

そして彼女の歌を歌う『人間』は、嫌いだった。

 

 

初音ミクブームが成長期の真っ只中だった2010年代。

中学生の私は友人のすすめでVOCALOIDなるものを知り、以後今に至るまで約10年、機械の歌声を愛し続けている。

今でこそ詩やメロディの良さを重視して楽曲を聴くものの、私が2014年くらいまで重視していたのはキャラクターであった。

初音ミクのための曲が好きだった。

彼女の絵や動画が付いている曲も好きだった。

VOCALOIDの曲を聴く時も、曲や動画の中心にキャラクターがいることは大前提だ。

もはや信者的とすら言える。

初音ミクを主人公とした『初音ミクの消失』なんかには特に熱狂し、

もう何世代前だか知れないiPod shuffleにアルバム全曲入れて無限ループしたものである。

 

 

それからしばらく経ち、いわゆる「歌い手」が商業デビューする流れが形成され始め、

私は過激派とは行かないまでも苦い顔をしていた。

自分も歌ってみたいと思うことはあったが、それはカラオケを友達に披露するような感覚で、

ライブをして有名になることやキャーキャー持て囃されることとは違う。

それはあの子のための歌なのに。

初音ミクの声でなければ、初音ミクのバックボーンがなければ意味がないのに。

「描き手」「踊り手」などとは違って、明確に『歌』というVOCALOIDの存在意義を否定している。

人気取りの踏み台にされている、と。

 

今思えば傲慢なことだ。

きっと多くの人々は本当に曲と初音ミクに感化されて歌い、それが人々を惹きつけただけだった。

それに加えて実力があるから、評価されて生き残る。

実際有名になりたいと考えて「歌い手」になった人間がいようとも、

最初に曲を聴いた時の感動自体はきっと全員に共通する。

 

しかし当時『消失』に影響され初音ミクをひとりの人間のように思っていた私にとって、

彼らの存在は一時期本当に堪え難かった。

あまりにも好きだったため、架空のものに肩入れしすぎていたのだ。

「?その歌はだれのものなのか?」(『初音ミクの戸惑』)

その言葉がずっと胸にあった。

頑なに、それは貴女だけの歌だと心の中で主張し続けていた。

 

(……楽曲PVにVOCALOIDキャラクターが登場しなくなってきた頃も似たようなことを思ったが、

その辺は歌っているのがVOCALOIDなのでまだ穏やかに見ていた記憶がある。

この辺はVOCALOIDブームと物語音楽の関連性ということで色々とまた別軸で考えている……閑話休題。)

 

 

 

さて、ここ3年ほどで私は歌い手の動画をよく見るようになった。

存在を許した……というレベルにとどまらず、「この声でないとダメだ」と思うほど好きになる投稿者もいる。

何故か?

答えは簡単。『歌声合成ソフトでは表現力が追いつかない』のだ。

 

歌声合成ソフトによる楽曲は近年一般化し、ひとつのジャンルを築いていった。

するとブーム初期によく見られたような、キャラクターのためにある歌詞・四つ打ち・打ち込みのメロディ(往年のアイドルソングっぽい)にとどまらず、

誰でもない人間を物語る音楽や、大衆曲に見られる多様な楽器の使用、人の声でなければ物足りないような音の運びが増えた。

有り体に言えば、それらは「人のための曲」そのものだった。

 

特に音の運びは、機械の歌声ではどうしても単調・冗長になりやすい。

neutrinoなど新たな技術は生まれているものの、まだ人には追いつかず、息や喉の震えまではしっかり再現できない。

すると当然、がなりや掠れ声のような技術を自在に使える人間の方に、表現力の点で軍配が上がる。

原曲より歌い手verの方が伸びる現象も、恐らくこういうところに理由の一端があるのだろう。

 

それに抗うような流れが、俗に言う「ボカロっぽい」要素――早口・高音などの、人間が歌うのには適さない要素を備えた楽曲の台頭だったと思うが、

現在はその両者が混在している状況と言える。

まあそれすらも歌いこなして自分のものにしてしまえる投稿者がゴロゴロいるんだけども。

 

VOCALOIDはまだ人間に勝てない。

いや勝ち負けではないが、少なくとも表現力は敵わない。

いくら神調教と言われても、人間の腹と喉から自然に繰り出される、質量を持った息と声の前には太刀打ちできないのだ。

それを悟って、私はつまらない意地を張ることをやめた。

VOCALOIDキャラクターではない誰かの物語を語る歌が増えて、

歌い手の人々による独自の表現が足されて、

それによってこの曲がますます良くなったと、純粋に言えるようになった。

 

キャラクターたちのことは今でも好きだ。

初音ミクは今や単体でサブカルチャーの伝説となり、

人に歌われた位で存在が霞むようなものではなくなっていた。

ニコニコ動画という地下から、既に世界のトップアイドルとなって出ていったのだ。

彼女らには立派に歩んできた歴史がある。

「人のための曲」を歌う代替楽器としても、キャラクターとしても、

とっくにその地位を確立している。

つまり、心配する要素など今のところないという訳である。

 

かくして私は過激派の鎧をようやく脱ぎ去った。

今は仕事で死にかけながら隙あらばニコニコ動画YouTubeに入り浸って、

時々音楽カテゴリを覗くような生活を送っている。

最近はめいちゃんさんや腹話さんが好きである。

 

 

 

なぜこれを日記にしたかと言うと、

大好きな『初音ミクの消失』シリーズが作曲者であるcosMo@暴走Pによって2年ほど前に順次リメイクされていたのを、

つい今しがたYouTubeで発見したからであった。

『消失』は私の青春だ。その動向に2年も気づけなかったのは不覚の極みと言わざるを得ない。

 

私が「初音ミク」を「個」として認識するに至った作品群。

大人になった今も考えの根底は変わらない。

しかし、本当に彼女が5年後には忘れられるかもしれないと思ったあの頃、

彼女の境遇の不安定さに半ばハラハラしながら聴いた頃とは、すっかり違う曲になっていた。

 

 

 

「?その歌はだれのものなのか?」

もう答えに迷うことはないだろう。

 

 

時を駆ける

 

 

田舎というのはとにかく車社会である。

駅がまず遠い。中心市街地にひとつしかなく、

遠い土地だと10キロくらい車で走ることもザラだ。

結果、車で目的地まで行った方が早いとなる。

バスもない。1時間に2本出たら多い方で、

22時以降になんてほとんど通りゃしない。

結果、車なら夜中にどこへでも行けるのにとなる。

そして交通インフラも育たず退化する。

車など持つだけで金がかかるのに、田舎には必須なのだ。

 

 

両親は共働きだったので1台ずつ車を持っていた。

最近退職などもあって片方を手放し、今は父の大きな車が実家の足となっている。

私は免許を取ってから数年間ペーパードライバーとして気楽に過ごしていたものの、

春から社会人になることもあってこのデカい車で運転の練習を始めた。

田舎なので車通りの少ない公道は多く、実地教習にはもってこいであろう。

 

しかし車は何度乗っても慣れない。

鉄の塊がよくハンドルひとつで動くな〜と思いながら怖々やっている。

ハンドルを切るのが遅くて怒られる。

車庫入れがズレて怒られる。

私は実家を出る前に店じまいセールのような勢いで連日怒られるのだった。

先日ようやく小回りのきく中古車が納車されたので、

最近は音楽を流しながら練習や買い物に行くぐらいの

余裕が生まれているが。

 

 

父の車に慣れていると、最近の車はずいぶんハイテクで驚かされることが多い。

Bluetoothは使えるし、エアコンの操作はタッチパネルだし、

カーナビの画面は綺麗だし、地図は最新だし。

両親は機械系がてんでダメなので古い設備を好む。

故に、家の設備は最新でも10年ほど時代に遅れている。

そこに吹き込まれた新風が我々一家を日々感心させっぱなしなのも無理はない。

 

特に父は情報機器などが本当に苦手である。

一応パソコン黎明期の辺りに

仕事でプログラムを組むぐらいのことはやってのけたらしいが、

15年くらい前からだんだんと怪しくなり今や知識の面では私の方が強い。

パソコンの更新なんかも「慣れた仕組みが変わりそう」と渋り、

そのくせマルウェア広告を迷わず踏み抜く。

後で実家に帰った私がてんやわんやになるのももう慣れた。

 

そんな父がナビの地図などマメに更新する訳もなく、

あのエコドライブなど程遠い車は未だに20年前の道を走っている。

昔のナビはデータ書き換えではなく

データの入ったCDを入れ替えて更新する形を取っているので、

面倒くさがった父は20年前を最後にCDの購入をやめてしまったのだ。

まあ、1枚に1万円以上払うのが馬鹿馬鹿しくもなったのだろう。

そのため幼い頃から、建物があるはずの場所になく

道路がないはずの場所にあるという光景も日常茶飯事になっていた。

未だに現役のような顔して表示されるローカルコンビニを目印にすれば

そこはとっくに更地で、

真新しい高速道路を進めば車が山と田んぼの上を行く。

母は何もない真っ白な田畑の表示の上を進む時、

「車が空飛んでるよ」といつも笑った。

父の車は出かけるたびに時を超えて空を飛んだ。

ハリーポッターの映画だかE.T.だか忘れたが、

私はいつもそれらに重ねて、大きな車が20年前の人々の

頭上に飛ぶ光景を空想するのだった。

 

 

母の車も廃車前まではずいぶん長く乗っていて

エンストしたりナビが壊れたりテレビが映らなくなったりしていたが、

父の車は恐らくそれ以上の長きに渡って家族の移動を支えている。

と言っても大きな車体のあちこちにガタが来ていて、

カーナビはとうに正常な日付を示さない。

先週エンジンをかけた時には、雪の降る中

「今日は7月31日です」と言ってのけた。

 

まだ馬力はあるので、父は本当にあの車がダメになるまで

バリバリ乗り回すつもりだろう。

とはいえ父の体力の衰えもあるので、今後そう遠出の用事はなさそうだ。

ひとまず練習中に傷をつけなくて本当に良かった。

あとは自分の車にだんだん慣れていきたい。

父の大きな車は今日もエンジンをうならせ、雪がちらつく田舎の夏空を飛んでいる。

 

 

旅する切符

 

 

先日実家に帰った。

転居の手続きやら卒論執筆やらを終えて、

ようやく一度家に帰れると一息。

新幹線と電車を乗り継いで片道3〜4時間かかる。

 

地元へ続く電車はあまり乗り心地が良くない。

常に何か得体の知れない匂いが漂う。

北国なので冬場の座席の足元はカッカと温められているが、温められすぎて熱い。

それでもこの電車に乗ると、ああ、もうすぐ見慣れた家だとホッとする。

スマホのバッテリーはとうに切れてしまった。

1両目の車内でいつの間にか疲れて船を漕いでいた。

 

 

ボンヤリ目を覚ました時、まだ地元の駅ははるか遠くだった。

重くて網棚に載せられなかったキャリーケースは、

今もしっかり両足で押さえられたままだ。優秀。

頭を振って起こすと、どうやらどこかの駅に着いたらしい。

人々がぞろぞろと席を立つ。

しばらくボケッとしていたら、向かいの座席シートにぽつんとオレンジの点が乗っていた。

切符だった。

はてあそこには女の子が座ってたような、と思ったら、

彼女は今まさにボタンを押して(田舎の電車はボタン開閉式)

近くのドアから降りて行ってしまう。

切符を引っ掴んで渡しに行こうと思った瞬間、

ドアが自動で閉まり電車が動き出した。

切符はぽつねんとシートの上に取り残された。

 

もう少し起きるのが早ければ渡せたのにと残念に思いながら、

一人旅をすることになった切符を見つめる。

少し曲がって反り返り、電車の振動に合わせてユラユラ揺れている。

届けられんですまんかったな、と念を送ってもしょうがないが、

やることもないのでずっと切符を眺めた。

お金の払い主がいなくても、切符そのものだから無賃乗車にはならないはずだ。

ふと目線を上にずらすと、外はもう暗くなっている。

結露して水滴がいく筋か垂れた部分だけ窓の曇りが取れて、

私の顔はまるで格子から顔を覗かせるように映っている。

外はずいぶん冷えて霧がひどいらしい。

 

 

私はときどき物をなくすのだが、

物をなくすと本当に煙と消えたように見えなくなるから驚きだ。

絶対あるはずの場所になかった時は、

絶望もさることながらむしろ「どこにいるのだろう?」という疑問の方が強くなり、

私はあるべき場所から身一つで放り出されたなくし物に思いを馳せる。

机と壁の隙間でホコリにまみれながらじっと私の手を待つ消しゴムや、

引き出しの中に潜り込んで他の雑貨にもみくちゃにされるヘアゴムなど。

 

なくし物は一人旅をしている。

そして時にひょっこりと気が向いて帰ってくるのだ。

しかし、この切符はもう帰れない。

あの眼鏡の女の子は駅でどれだけしょんぼりしたか。

ポケットにも鞄にもいない切符を、きっと寒空の下で必死に探していることだろう。

どうやって駅から出たかなと心配しつつ、

寂しい一人旅をする切符のことを考え続けた。

 

なくした物は、手元に帰ってくるまでの間、

どこで何をしていたか知る術がない。

もしかしたら父の書斎で見つけた鉛筆は

父が拾って書き物に使ったかもしれないし、

庭にそっと置かれていた小さな指人形は

犬や猫なんかのオモチャにされたのかもしれない。

どんなドラマがあろうと持ち主には知り得ないのだ。

私はあの女の子が知らない切符の行方を知っている。

今まさに目の前で電車の旅をする切符を肴に、無為な思索を繰り広げている。

 

そう考えると不思議だ。

ある少女の観測から外れた場所に私がいて、

ついさっきまで手元にあったはずの切符とともに電車に乗っている。

切符はユラユラと揺られて、

私はぐるぐる妄想を拡げている。

少女だけが何も知らない。まったく不可思議だ。

ひょっとしたら自分の五感の及ばないところにも知らない誰かがいて、

今まさに私がかつてなくした物を蹴り飛ばしているかもしれない。

いやもしかすると今の私のように、

「どうしてこれがこんなところに」と不思議そうに見つめているのかもしれない。

そして私はそれを知らない。

なんだか面白い。

 

 

だんだん地元が近づいてくる。

私はだんだん眠くなる。

各駅停車の電車は止まるたびに

そろりそろりと1人か2人の乗客を降ろし、

とうとう1両目には誰もいなくなってしまった。

隣の車両を覗くと、どうやらあちらにも2、3人しかいないようだ。

夜走る田舎の電車はこんなものである。

ひとりぼっちで揺られていると、不意に女性が目の前を横切った。

若い車掌さんだ。

白手袋がひょいと切符をつまみあげる。

そして車両に私しかいないことを確認して、

切符を連れて出ていってしまった。

後には何も残っていない。

早く家へ帰りたいなと思いながら、

結露して濡れている背後の窓に頭をもたれさせた。

家はまだ10駅以上先にある。

 

切符がその後どうなったのかは知る由もない。

持ち主の女の子だけでなく、私にとってもあの切符はなくし物となって、

どこか知らない場所をさまよう旅人と化した。

見えないところで何をしているのか、傷ついていないか、いつ帰ってくるのか。

親心ってこういうことなのかな。

 

 

私の切符観察はこれでおしまいになった。

このあと電車がガッコンと大きく揺れて止まり、

どうやら動物を撥ねたらしいというので30分以上待つことになるのだが、それはまた別の話である。

スマホのバッテリー切れで家に連絡も取れず、

帰って早々ずっと心配気に待っていた母に事の次第を説明することになった。

やはり親心だな、となんだか嬉しかった。

 

 

コミックマーケット97(2019冬)初参戦の地方兵卒がコミケ4日目に参加するまで

 

お久しぶりです。

趣味や卒業準備にかまけていたら前回の夏コミ日記から冬コミまでガバッと時間が空きました。

またボチボチやってこうと思います。

 

 

 

今回の日記は初の冬コミ参加についてである。

 

「初心者は夏より冬参加!」のアドバイスをろくに聞くことなく参加した夏コミから早4ヶ月。

何だかんだ元気に帰還した私は、冬コミに参加するかどうかを12月中旬まで決めかねていた。

 

コミケを終えたらもう正月だ。

実家に生を受けて22年、高校大学受験の時期ですら家の正月行事の支度を手伝ってきた私が、

晦日にそれらを投げ打ってコミケに行く。

冷静に考えれば異常事態である。

我が家は儀式ごとを大事にする家庭で、それでなくとも雪国の冬は極めて厳しい。

卒論も仕上げる必要がある。

親の反対は免れ得ない。

 

しかしコミケを目前に控えた12月下旬、実家でだらけていた私の前に重大な知らせが届く。

抗えない欲の前に、私は再び行軍を決意した。

以下に帰還までを記録する。

 

 

 

 

11月1日

冬コミの当落発表がある。

今回は参加どうしようかな〜とのんびり思案する。

なるべく余裕を持って行きたいが、実家にいることを考えるとそうもいかないかもしれない。

東京の寒さがどういう感じかよく知らないので、とりあえず準備だけでもしておこうと冬の必須アイテムを調べる。

 

 

12月初頭

コミケの原稿に関する先人たちの嘆きがそこかしこから響き出す。

自ジャンルの先輩が(コミケではないが)本を出すというので応援しつつ、冬の東京行きをどうするか考える。

なかなか結論は出ない。

2ヶ月前からコミケを意識していた夏と比べるとえらい違いである。

 

 

12月4日

推し(男性声優)に浅からぬ関わりを持っているイラストレーターさんがコミケ四日目への参加を明らかにする。

もしかしたら推しがブースに立つこともあるかもしれない。

余談だが声優のコミケ参加と言うとだいたい冬に集中するイメージがある(夏休み時期はイベントも被るので冬の休みの方が参加しやすいと思われる)。

まだこの時点では手に入れたい頒布物は出ないかもしれない、と様子見する。

 

 

12月上旬

卒論の執筆を本格的に開始。

字書きなりにタイピングには自信があるが、研究が本当に仕上がるのか? という不安は拭えない。

しかしやるしかないのでひとまず図書館で本を借りまくる。

このあたりでは「コミケには行かなくてもいいかな……」という思いが強い。

 

 

12月19日

前々から予兆はあったが推しがとうとうバ美肉した。

今流行りの「バーチャル美少女受肉」である。

そして仲間と共に、同月26日よりVtuberデビューをすると言い出したのがこの日。

これ自体は大歓迎のお祭り騒ぎだったが、私は諸手を挙げて喜べない。

バ美肉仲間には先述のイラストレーターさんがいる。

かつ、その人の出展が件のVtuberプロジェクトに関するものであることも発表されている。

推しのバ美肉姿が単純に好みな女子だったこともあって、この一大イベントは私にコミケ参加しろと言っているようなものだ。

しかし時期があまりに悪い。東京行きを強行するべきか否か。

 

私は持ち前の"諦めの良さ"を発揮することに決めた。

すなわち、コミケでの頒布物の理想を想定より大幅に高く設定し、

この理想条件に達するものでなければ潔く諦める、という作戦である。

大学に上がってから万年金欠と言っても過言ではない私はこのやり方で幾度となく財布を守ってきた。だいたい勝率は7割くらいである。

頒布物想定は「Vtuber姿の設定資料(薄め)」。

ということで今回の理想設定は「設定資料集+何かしらのグッズ+声優やイラストレーターさん達のフルメンバーでブース立ち会い」である。

かなりハードルを引き上げて、私はプロジェクトの動向を応援しつつ注視し始めた。

一応交通手段も確認した。東京行きの深夜バスがまだあった。

 

 

12月20日

この日実家へ帰る。

帰る前にコミケの参加証のみ購入し、参加できる場合にはスムーズに事を運べるようにする。

地震など多かったこともあり心配していたが、両親は元気そうであった。

暖冬で、雪国なのに雪がちっとも積もっていない。雪遊びの好きな妹が不貞腐れている。

スキー場でも雪乞いをしているそうで、逆さてるてる坊主でも吊ってはどうかとアドバイスをしてやった。

しかし大晦日と正月は冬将軍が襲来する悪天候かもという話もあり、コミケ行きを相談すると「やめとけ」との返事。当然である。

 

 

12月26日

遂に推しがVtuber活動を開始する。なかなか設定のクセが強い。

そしてまだ出ないコミケの詳細に気を揉み倒す。

逆さてるてる坊主のおかげか、雨降り続きで雪が1センチ積もっては消えるを繰り返している。

午後には友人が我が家に来訪して簪をプレゼントしてくれた。

青い花やビーズがモチーフの可愛らしいものであった。

 

 

12月27日

とうとう出展内容の詳細が出る。

・フルメンバーの設定資料/イラスト本

・メンバーの描き下ろし立ち絵クリアファイル

・声優含むフルメンバーでの立ち会い参加

 

やられた。

想定の下どころかど真ん中を突き抜けられた。

これで行かなければ私は一生後悔するのではないか。

考えてみれば、多忙な推しのV活動が来年まで続いている保証はどこにもない。

続いていたとしてもコミケに本人が参戦するチャンスがそう上手く再来するのか。

グッズや本を通販で買えたとて、メンバーの皆さんを前にする体験は一度逃せばどんなに願っても叶わないのだ。

もう迷っている場合ではなかった。

 

30日の夜行バスに空きがあることを確認し、あとは予約をするだけという所まで進めて、母にコミケ行きを再度交渉する。

否、あれは交渉などではなく駄々こねである。

生まれてこのかた親に何かをねだってはうまく説得されて諦めてきた私が、ほとんど初めて使った駄々こねだ。

しかし当然断られる。

タツの上に積まれたミカンをヤケ食いしつつ、断られるたびに交渉を繰り返す。

それでも首を縦に降らない母を諦めて、厳しい父にターゲットを切り替えた。

父は「卒業旅行でニューヨークなんかに行った方が有意義では?」というが、もともと予定は立てていないし今の私にとってはNYよりTokyoである。

駄々こねよりはいくぶん理性的に交渉を進めるが、「ひたすら理不尽な天候にキレ倒す」というそこそこ恥ずかしい手法を取った。

そして、なんとついに父が折れた。

母も父が言うならとしぶしぶ承諾し、私はその場で東京行きの夜行バスを予約したのであった。

 

31日の東京は晴れの予報。

地元は冬将軍到来の雪予報である。

止まるかもしれない帰りの新幹線に今更ビビり始めたが後には引けない。

夏よりもだいぶ深刻な退路の断ち方をしたが、これも全部オタク性分が悪いのだ。

バタバタと準備を始めた私に母が課した条件は1つ、

「31日のうちに無事帰ってくること」。

戦場へ赴く兵卒の気分を再び味わいながら、東京行きの荷物を揃えていった。

正月には生きて帰ってみせる。

 

 

12月28日

コミケ初日である。

両親は年末の買い物に行き、私自身は東京行きの準備を進めながら家の掃除をする。

外では雪がチラつく中、北国の穏やかな時間が流れていった。

成人済みで一人旅の心配は少ないことに加え、

欲しいものは滅多にねだらない・暴れない・粘らない娘だったこともあって前日の交渉はそこそこ効いていたが、

やはり年末のこの時期の行軍というと心配そうな親の表情が見て取れた。

というかあれだけ雪が酷くなるかも知れないと言われているのに行く行くと騒ぎ続けたことを考えると、許可が出た=半ば見放されたようにも考えられる。

仕方ない。オタクはいつでも自己責任で動くものだ。

夕方にはコンビニでチケットの支払いを済ませる。

ついでに貼るカイロ×10とポカリスエット1.4L(900ml+500ml)+水500mlを購入。

減っていく残高を見ないようにしながら買い物を完了した。

狙い以外の買い物はせず観光する暇もないので、夏ほどの大荷物でないのが救いか。

 

 

12月29日

コミケ2日目。

家の手伝いばかりで特筆すべきことは無い。

深夜に10年以上ものの電気温水器が壊れた。翌朝に復旧。

 

 

12月30日

コミケ3日目、出発の日である。

温水器が壊れたりで正直出かけるどころではないのだが背に腹はかえられない。

午後には雨も降り出しますます幸先が悪い。

辿り着く前に死ぬかも。

夜には準備を整えて駅へ赴いた。Suicaが大変便利だったことを覚えていたので忘れずチャージしておく。

そこまで深くない時間だと駅には複数の若者がいた。

我が街のシャッター商店街は一層静寂に包まれている。

年末のこんな時間でも、キャリーや紙袋を抱えて移動する老若男女はそこそこ多くいるものだ。

久々の夜行バスで身体をバキバキにしつつ眠りにつく。

 

 

12月31日

晦日コミケ最終日である。

深夜1時にバスの停止で目が覚める(たぶん運転手さんの休憩)。

それからなかなか寝付けずうんうん(静かに)唸りながら朝を待つ。

コンセントが席に付いてないのは地味に手痛い。

バスの紹介にはコンセント付きと書いてあったが。

朝5時ごろにバスの中でメイクや身支度を済ませて八重洲で降りた。

 

6:30ごろの臨時直行バスに揺られてビッグサイトの足下まで行くと、前回来た時よりもものすごく遠くに最後尾がありちょっと愕然とする。

そこからモゾモゾ進んだり止まったりを繰り返して、結局列が本格的に入場に向けて動いたのは10:30であった。

悔しいことにその時間で企業のほうで目当てにしていたものが売り切れた。もっと早く行ければ……

仕方ないので右手の入場証を高く掲げながら西館に入場する。手に入らないものを嘆くより今目の前にある品を獲得する方が先である。

最も目をつけていたブースでは声優さん方が看板を掲げるなどしており、アノッアッ1セットクダサイと行ってお金を払ってものを受け取るので精一杯だった。

その後もいくつか迅速に各ブースを回ってVtuber中心に新刊を頂く。

東京と会場が暖かすぎるためカイロ3つを装備した状態では汗だくになっていた。

何しろ開会前の行列の頭上に陽炎が立ち上っていたのだから相当なものである。

 

その後はゆりかもめと地下鉄に揺られて東京駅へ向かい、新幹線で一路実家に帰還。

1行で済ませられるくらいには移動が虚無だったので仕方ない。

新幹線の自由席デッキでは立ちっぱなしの状態が続き、座れるようになってからは吸い込まれるように眠りに落ちた。

立っていた時、隣のお姉さんがケージにインコを入れて大きなビニールバッグで持ち運んでいたのが印象的であった。

帰宅後は戦利品や持ち物を確認し、神棚・仏壇・天照皇大神へのお参りを済ませて蕎麦を食べ、現在紅白を見ながらこれを打っている。

 

 

 

田舎民コミケ一般参加の教訓(冬)

・準備はもっと軽くても良かった。

(今回お金や入場証以外で持っていったもの:朝食のおにぎり、ポカリ/水、のど飴、マスク、カイロ×10(うち3コ使用)、汗ふきシート)

(装備:マフラー、スポーツウェア(半袖)、セーター、手袋、コート、伸縮性ジーパン、 110デニールのタイツ、靴下、ショートブーツ)

(カバン:小型リュック、肩掛けポーチ、トートバッグ)

・今回もSuicaと握り飯大活躍。

・冬の待機列は夏以上に手持ち無沙汰かもしれない。

大して寒くない上に後ろの方に回るといよいよやることが無くなるので何かしらゲーム機や本でもあると良い。

・ぶっちゃけ雪国の民は冬コミ参加非推奨だと思う。

理由としては(今回は暖冬だったからよかったが)帰りが吹雪になると列車が止まっても仕方ないため。

「初参加は冬から」というのは確かに同意だが交通の便を考えたら雪国の民は夏に目いっぱい楽しむ方が良い。命を守っていこう。

・いつでも準備会の皆さんやサークルの皆さんへの感謝は忘れずに。

 

 

 

 

今回もお疲れ様でした。紅白はそろそろLiSAさんが出ているあたり。

もう大変すぎたので冬には参加したくないな〜! という思いが強いものの、結局オタクなので推しの新刊なんか出たらまた参加してしまうのだろう。

 

 

学業も就活も趣味もドタバタした1年ながら、終わりよければ全てよしだ。

ひとまず死なんでよかったという事にしておこう。

そんなわけで今年大して更新もしてないブログを〆させていただく。

よいお年をお迎えください。

 

 

 

コミックマーケット96(2019夏)初参戦の地方新兵がコミケ2日目に参加するまで

 

東北の上の方に住む地方オタク女が夏コミ(C96)2日目に参加するまでを若干のフィクションを混ぜて記録しています。

 

 

6月7日

コミケ当落発表日。

Twitter上で推しジャンルの神絵師が続々と当選を報告する。

毎年実家の盆の手伝いに行くオタク女子大生、お品書きの中に通販なしの字を発見。

C96でのコミケ初参戦を検討する。

とはいえ先人の言葉は毎年目にするので自分の体調を思い1ヶ月近く二の足を踏む。

(1日1食・睡眠不足・運動不足の三重苦)

 

 

6月19日

プロメアを見に行く。もうすぐ上映が終わると言われる割には小さなシアターが満員になっていた。

鑑賞し頭をぶん殴られたような衝撃を受ける。

皆ぶん殴られたのか、のちに上映期間が伸びて応援上映も大きい方のシアターで開かれた。

ここで生命力に満ち溢れたためか、以後もどこか思い切りが良くなる(自作の炎カバーをキンブレに取り付けるため、オーロラクリアバッグを売っている遠方のセリアまではるばる買いに行った)。

 

 

7月12日

一旦実家に帰る。

学部の研究グループでコミケ前に山登りが開催されるとの事で、半分気は進まなかったがとりあえず実家から登山用リュックを回収する。

中学生くらいから所有しており、体の成長に伴って構造はしっかりしつつ相対的に小ぶりになっている。物持ちが良い。

小ぶりならコミケにも使えるかなという魂胆である。

実家でダラダラして妹とも遊ぶ。

妹と遊んでいる最中で体力のなさを改めて痛感する。

 

 

7月19日

休み中の日程をやっと把握。お盆前ならギリギリで何とかなることが判明した。

コミケへの参加を本格的に決意する。

退路を断つため往復の夜行バスを予約。

世間は夏休み始めの辺りであるためか、座席が残りわずかなところへの滑り込みだった。

 

この日から本格的に情報収集を開始。

コミケ雲などは知っていたが、「初心者は冬参加からが良い」「毎年傷病者が出る(主に熱中症)」「救護室は野戦病院の様相を呈する」との情報に戦慄する。

加えて今回からオリンピック開催の関係で4日間開催となり、西・南館+青海展示棟というイレギュラーな布陣になっていることを知る。

ビッグサイトへはイベントで一度しか行ったことがないため弱気になったものの、後には引けない。

さながら地方を出る志願兵の心境である。

この日よりささやかながら体調を考えて、ジュース類を控えた水かお茶での水分補給と最低1日2食を心がけ始める。

 

 

7月20日

最寄りのアニメイトにカタログを買いに行く。厚みに驚愕する。

2日目のみの参加だが他の日程のサークルカットも面白い。

興味のあるジャンルが別日だったので、機会があれば複数日に渡っての参加もしたい。

カタログの諸注意やまんレポを読み込みながらオタクのパワーに感動を覚えるなどする。

準備会の人達ってほんとに凄いんやなぁ……

 

 

7月26日

山登りはこの日だったものの用事で結局行けず、登山用リュックはいよいよコミケ仕様に。

しかし山頂付近の天候が芳しくないため9月まで順延になっていたことをのちに知る。

 

 

7月27日

1週間後に部屋へ入る工事のため、汚部屋をどうにかしようと決意。

就活などによるうつ状態や布団替えのタイミングの悪さなどで目も当てられない状況であった。

コミケと帰省の前に懸念は一掃せねばならぬとこの日から2daysで大掃除を敢行。

部屋というアリーナを色とりどりに埋めるゴミが大袋に詰め込まれ、花吹雪のごとくホコリが舞う。

東北の上の方でも毎年普通に30度を超えるなどして暑いもんは暑いので汗でシャツがデボデボになる。

夜には「ダンベル何キロ持てる?」のオープニングを聴きながら軽い筋トレを始めるなどする。

 

 

7月28日

午前に大掃除があらかた終わる。

午後に小物の整理を行おうとしたが、メインジャンルである『怪盗クイーン』『夢水清志郎』『都会のトム&ソーヤ』などを執筆するはやみねかおる先生のサイン会にて「『都会のトム&ソーヤ』実写映画化決定」の報が飛び込む。

これによりTwitter上でお祭り騒ぎとなり掃除どころではなくなる。

90%は綺麗になっているので良しとする。

実写映画は来年のオリンピック以降だそうです。よろしくお願いします。

 

 

8月2日

コミケ開催1週間前ということで装備の買い出しに本腰を入れる。

帽子やタオル、冷却グッズなどをちまちまと揃えるが保冷剤がどうしても見つからず。

気づけば長時間帽子なしで炎天下にいたため軽い脱水を起こしており大慌てで帰還。コミケ前によい教訓となった。

以後、無理はせず前日までに少しずつ外出して物品を揃える。

 

加えて現地での治安を鑑み、本格的に見た目の戦闘力向上を検討し始める。アクセサリー系は落ちた場合悲しくなるのでなるべく体から離れない装備を……と考えた結果、

・髪を染める

・ごつい指輪をはめる

・タトゥーシールを貼る

となった。

過激な色は似合わないので落ち着いた髪色の範囲で吟味する。

 

 

8月6日

深夜、眠れなかったので勢いで髪を染色する。

蛍光灯の下でなら何となく変化が分かる感じの茶色になる。

バタつきながら染色を終えて髪を乾かしたところ、去年からしぶとく髪に残っていたパーマ癖が綺麗さっぱり消失する。久々のストレートロングだ

翌日の買い出し時、陽光に当てられてすこし明るい色になった気がする。

 

 

8月8日

徒歩40分の場所にあるスーパーでようやく保冷剤を発見する。

大抵めんどくさがって買い物は行動圏内のコンビニや大学購買で済ますのだが、遠出したかいがあった。

小銭を減らしたくなくてバスには乗らず、自転車も持たないため完全徒歩移動である。

麦茶のペットボトルがこの道中で2本空になった。

スーパーで桃を買って食す。

 

 

8月9日

コミケ1日目。

例年のごとくお祭り騒ぎの様子をTwitterで見て楽しむ。今年は有料リストバンドのおかげで徹夜組もだいぶ抑えられたようである。

明日はこの場所に私がいるのか……と思いながら持ち物の最終確認。

セブンATMでSuicaチャージができることを初めて知る(Suicaが使えない田舎駅から出てきた人間なので)。

見た目の戦闘力に関して、先日の装いにプラスして青と金のラメネイルをそれぞれ左右の手に塗る。

首元に小さいタトゥーシールもくっつけているので「地味なオタクかと思ってよく見ると絶妙に近寄りたくない奴」が完成する。

会場を離れたら大江戸温泉物語に寄る予定なので、このシールは離脱後すみやかに落とさねばなるまい。

夜、ひと気のない市バスに揺られて駅へ。夜行バスに無事乗車。

4列席でギュウギュウなタイプ(そのぶん安い)だったため、恐らく合計しても2時間ほども眠れないまま夜を過ごす。

 

 

8月10日

コミケ2日目。私の一番長い日である。

バス内が狭いなりに迷惑をかけないよう、バスターミナルなどを駆使して尋常ならざる集中力でメイクと装備を完成させる。

八重洲口から臨時直行バスへ乗る。ある程度詰めて乗せてから出発するため、なんてオタク密度の高い……と思っていたが本番はこれからである。

7:00少し前くらいに待機列に並ぶ。既にかなりの長さの列が形成されており少しゲンナリする。しかし私の後ろにも長々と続いていく列を見て呆然とする。

8:00くらいに動くと言われたが、後ろの方なのでそれからさらに1時間半?ほど待つことになった。炎天下との戦いである。

もはや恥も外聞もなく(迷惑にならない範囲で)汗を処理しヒヤロンを潰しレジャーシートにあぐらをかいて凍らせたポカリをガブ飲みして顔を煽ぐ。どんだけやってもまだ暑い。直射日光は帽子とタオルで避け、アームカバーも完備だがとにかく暑い。蒸れる。

やりすぎなくらい準備してきてよかった……と思った瞬間であった(半日参加だったので余った飲み物が重くて苦労はしたが)。

ヒーコラ言って汗を拭きつつ、遠くでメガホン越しに叫ぶスタッフさんの声に耳をそばだてる。あぐらをかいて両手を耳に当てるポーズは後で気づいたが完全に有情破顔拳であった。

 

列が動いてからはお目当てのサークルに向かって一直線である。ノルマの買い物をこなす中で気づいたが、意外にも若干の冷房を感じた。人はクソ多いが例年言われるほどの熱気がない。

落ち合ったジャンル仲間のベテランによれば「4日間だし企業ブースも遠くなって人混みが分散されたのでは?」との事。これより多いのか。唖然とする。

昔から人間との衝突回避スキルだけは無駄に高い人間なので、人混みを縫うように歩きつつ戦利品を回収する。アッという間に軍資金が溶ける様はさながら魔法のごとしである。

しかしあまりの暑さに、コスプレを眺める余裕もなく昼ごろ早々に退散した。まどほむが見られたので良しとする。

両足の親指に肉刺が出来ていた。

 

離脱後はゆりかもめに揺られて大江戸温泉物語へ。観光用のお金をなけなしの理性で残していてよかった 意思の強いオタクだ

初利用で戸惑いつつも浴衣をまとい浴場へ。ちょっと身長と浴衣のサイズを間違えたようでダボダボになる。

コミケ後の汗を流し、頭のてっぺんからつま先までさっぱりした。

その後はバルーンアートをやるピエロを眺めながらラーメンとクレープを食べた。予算を少しオーバーしたが良し。

大江戸温泉物語で汗まみれの服も着替え、スッキリした状態で今度は浅草へ行く。都心を移動する際やはりSuicaは大変便利だ。しかし田舎の我が街においてはただのペンギンが描かれたプラ板である。悲し。

浅草では仲見世通りをひやかしつつ浅草寺に参拝する。戦利品などはコインロッカーに置いたので身軽であった。胃腸のあたりと、肩こりや頭痛があるので上半身に煙を浴びる。おみくじ、吉。

趣味のかんざし集めの一環でかんざし屋に寄る。店員さんが気さく。最近は2本差しも流行っているとかで、私の髪で実演してくれると言う。

しかし私は店員さんよりはるかにタッパがあった上、毛量がラーメン二郎であるため「……ハーフアップでやってみましょう!」となる。髪が屈強でごめんなさい。

試着は綺麗に仕上げていただいたので差し色になりそうな小さい木製かんざしを買った。サブとして使えそうである。

店員さんに髪の綺麗さを褒められ、コミケ前の染髪が成功した証かと少し得意になる。お世辞でも嬉しい。あと汗だくだったが「髪からいい匂いがする」と言われたのは恐らく大江戸温泉物語のコンディショナーであろう。

隅田川の灯篭流しを少しだけ眺めて東京駅に戻る。

 

それから3時間ほど駅構内の椅子で待機する。ゴミを整理整頓しても軽くならない登山用リュック。半日参加だったため余った水分と戦利品がものすごい重さになっている。幸せの重みだ。

夜行バスの発着場で迷いつつも何とか乗車。今度はゆったりしたバスだったので、疲れもあってか朝まで熟睡した。

 

 

8月11日

コミケ3日目。今度は私の一番短い日である。

6:40に夜行バスを下り、朝食代わりに駅で軽食を確保してバスに揺られアパートに戻る。

アパートで装備を解き、カバンの中を整理し、風呂に入り、下着だけの状態で力尽きて眠りについた。

そして起きたのが16時。ゆうに9時間は寝ていた。しかも部屋の冷房は切りっぱなしだったため屋内が30度以上に。慌てて冷房をつけ、汗を拭き、部屋をある程度整えてひとまず眠りにつく。

そしてまた翌日の朝まで寝た。寝過ぎだ。

 

 

8月12日

コミケ4日目。最終日である。

この日実家への帰省を予定していたことをすっかり忘れていたため、大慌てで支度をする。若干荷物を詰め忘れたがそれはもう仕方ない。ドタバタとアパートを飛び出し、新幹線と電車に揺られて実家に戻る。

実家ではコミケのニュースを見たり、東京での思い出を話したりして過ごした。

で、今である。

 

 

 

 

田舎民コミケ一般参加の教訓(夏)

・やりすぎなくらいに準備をすべし。

(お金や入場証以外で持っていったもの:朝食のおにぎり、着替え、凍らせた麦茶ⅹ2/ポカリ/水、普通の麦茶/ポカリ/水、塩飴、扇子、保冷剤ⅹ3、ヒヤロンⅹ2、冷えピタⅹ4、レジャーシート(待機列で座る。折りたたみ椅子の方がいい)、汗ふきシート、無香タイプの制汗剤、デオナチュレのさらさらクリーム)

(装備:キャップ、タオルⅹ2、スポーツウェア(半袖)、冷感アームカバー、伸縮性ジーパン、靴下、スポーツシューズ)

(カバン:小型登山用リュック、肩掛けポーチ、トートバッグ)

・ただし半日参加の場合水分は半分でもよし。

Suicaは買っておいた方がいい。たとえ出発地がSuica使わないド田舎でも何とかして手に入れるべき。都会のリズムで切符は買えない。

私は2500円チャージしてちょうどよかった。最近はネットでも買える。無記名のやつで十分。

・なるべくなら前後の日程は宿泊施設を予約しておいた方がいい。夜行バス移動は体力がないと死を覚悟する。

・にぎり飯で半日駆動できたので米は最強。パンではいけない。米を食え。

・スリや置き引きはどうしても発生する。本当に本当に最低限失くしたくないもの(私の場合は財布・スマホ・腕時計・命)は手と目の届くポーチなどに入れ、時折所在を確認すること。

コミケ帰還後に予定がある場合はある程度支度を済ませてからコミケに向かうこと。疲れて使い物にならなくなる可能性がある。

・準備会の皆さんやサークルの皆さんへの感謝を忘れずに。

 

 

 

 

こうして私の初コミケ参加はおおむね成功で終わった。お疲れ様でした。

たぶん冬も行くと思います(冬なら東北民の寒さ耐性も活かせるかな)。

 

夏の日の2019

 

 

昨日まで雨が降ったり曇ったりとパッとしない天気だった。

今日は一転、夏の晴れ空が広がっている。

入道雲をバックに生い茂る背の高い雑草、青々とした一面の田んぼ、気温は高いが湿度低く爽やかな風がある。

典型的な田舎の夏の入口である。

 

 

外を見れば、近所のお姉さんが娘とその友達を連れてプールに行くらしい。

いつ鳴き出したんだか分からない蝉の大合唱が家のどこにいても響いてくる。

窓から外の地面を見下ろせば砂利道やアスファルトが白く照り返す。

刈られたばかりの草の匂いがする。

 

 

 

夏過ぎて怖い!!!!!!!! (こわい)

 

これ全部典型的な田舎の夏のテンプレートでは……?

昨日までグズグズしてたくせに急に今日からハイ夏ですよになってしまった

蝉すげぇ鳴いてる……近くに半分林みたいな公園があるんですけどそこが蝉の集会所なんですよ 集っている……

親は方々にお中元送るために出かけました

私お留守番中なんですけど……ここまでお膳立てされた「夏」があるのか……?

じゃあ冷蔵庫に氷あるかな うわぁーーーー!!!ひとつぶひとつぶがデッカイ氷や!! いつから作ってんだこんなん 麦茶あるし 飲も


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夏じゃん……

私の好きな夏の姿じゃん……

 

 

ということは外に出たら……!?

 

 

 


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ウワァーーーー!!!!

 


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ウワァーーーー!!!!

 


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ウワァーーーー!!!!

 

 

 


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夏だぁ〜〜〜〜〜〜〜!!!?!?!、?!!!?????

 

 

 

怖っ夏怖!!!!

田舎の夏の条件揃いすぎでは……!?

ここまで来ると縁側がないのが悔やまれるな!!!!

うち建て替えて10年なるもんな!!!!

 

 

いやでももうさすがに家には夏ないでしょ……さすがに……

 

 

 

 

 


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アース渦巻香だ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

追記 このあと三ツ矢サイダーが参戦しました
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夢で僕らの街に爆弾が飛んできてさ

 

 

老人ホームにいる母方の祖母に会いに行った。

前回の記事にも書いた話。

4ヶ月くらい前にも顔は見た。

今回は私の生活が落ち着いて初めての訪問になる。

 

 

 

個室に行くのかと思ったら、ほかの入居者の人々がテレビを見たり何かを食べたりしている大広間に祖母はいた。

父は入口で祖母を遠目に確認すると、大広間手前の待合スペースまで戻ってソファに座る。

前回は対面したが、今回はとうとう近くに来ることさえなかった。

私の母と祖母の、母娘の時間に水を差したくなかったのか。

それとももう亡くなった父方の祖母、つまり父の母が重なって見えたのか。

結局私には分からない。

 

そう言えば父方の祖母は入退院を繰り返した後に、両親が色々と手を尽くして自宅で介護していたなと思い出す。

亡くなるまで父方の祖母はしっかりと我々家族のことを覚えていたっけ。

介護の話は長くなるのでまたいつか。

 

 

遠くから見た祖母はほとんど丸まったように俯いて車椅子に座り、

前に置かれたテーブルに向かってヨーグルトらしきものを食べていた。

同じテーブルにはあと2人入居者の方がいたが、

1人は介助してもらいながら祖母と同じものを食べている。

もう1人はぼうっとどこかを見ている。

 

大広間は小学校の体育館ぶんぐらいはあったと思う。本当に広い。

テレビが2台あり、どちらも同じ番組を映していた。

入居者の人々はほとんど車椅子に座って、テレビに向かっていたり、何か食べたりしている。それが50人ほど。

しかし大広間は驚くほどに静かだった。

常時言葉を交わす人間は介護士さんくらいしかいなかったし、テレビの音声もずいぶん際立って響く。

静けさに私がビクビクしているうちに、母はずんずん祖母の方に向かっていった。

 

 

祖母はもうだいぶ記憶が後退しているようだ。

自分の子や孫のことはもちろん、10年以上前に先立った夫のことも覚えてはいない。

母が祖母に「ばあちゃん、なつこ(私)連れてきたよ」と言ったら、途端に顔を伏せる。

諦めずに「なつこ(大学)4年生だよ」と続けると、一瞬上げた顔が涙こそ出ないが泣きそうな表情になって、また伏せられた。

「4年生?」と聞き返しては涙ぐんでいる。

どうやら祖母の友人だった少女を私に重ねたようだった。

尋常4年生のことと思ったのかもしれない。

 

それから祖母と母の会話は全く噛み合わないまま進行した。

祖母はずっと、自分の父親に「この間」殴られたことや、兄と父が死んでしまったことを語り続けた。

母はずっと、あと2口残ったヨーグルトの完食を促したり、元気にしているかどうかを尋ねたりし続けた。

まったくの平行線だ。

祖母にしてみればよく分からない(もしくは知人か介護士と認識している)女性がずっと現状を聞いてきている状態だし、

母にしてみれば、1年か2年前まではしっかりと目を見て話してくれた母親が、知らない時代のことを話し続ける人と化したのだ。

仕方のない話ではある。

 

ひとまず私は母を何となく雰囲気で制しつつ、祖母の話を聞き取って極力合わせることに決めた。

殴られたとべそをかく子どもの頭は撫でる。

兄が死んだと悲しむ子どもの背中はさする。

それを祖母にも実行した。

正しいのかはまったく分からない。

あくまでも私は彼女の孫であるべきかも知れない。

私がやったことと言えば、彼女が見ている記憶の登場人物に徹することなのだ。

後退した記憶を肯定するのにはそれなりに躊躇いもある。

祖母の中でそれがますます彼女にとっての「現実」になってしまうかもしれないからだ。

私はそのことを恐れた。

私の分からない文脈で生きていく祖母が、手の届かない範囲に行ってしまうのが怖かった。

ただ、骨ばった背中へ掌を滑らせているうちに祖母は落ち着いた。

 

 

母に助けられながら残り少ないヨーグルトを口に運ぶ祖母を横目に、大広間を見渡す。

入居する誰の目も、どこも見ていなかった。

テレビの前に座る人々はテレビの向こうを観賞しているし、

それぞれのテーブルで座る人々も、隣同士で言葉を交わしはしない。

そんな静かな大広間で私はその時、ここにいる人々はほとんど皆夢を見ている、と唐突に思い至った。

 

 

 

私は寝るとよく夢を見る。

夢の中ではどんな理不尽も当然の常識となる。

明晰夢でない限り私もそれに疑問を持たない。

1+1=3であることを理解し、了解して夢は進んでいく。

起きてしまえば当然1+1=2で、なんて訳の分からない夢だろうと思い直すのだが。

夢の中では1+1=3が当然の事実だ。

覚めない限りそれは本当に正解で常識だ。

 

それを思うと、俗に言う「ボケて」いる人々の状態は、覚めない夢を見ている状態にとても似ていると思う。

祖母にとっては、

「自分は幼い少女で、この間は父にぶたれ、最近父と兄が死に、今日はおやつ中に知人女性が友だちを連れてきた」

ことが紛れもない現在の真実なのである。

私たちに見える彼女は95歳を超え、老人ホームで車椅子に座り、孫に背中をさすられて、娘に助けられながらヨーグルトを食べていた。

しかし祖母は前者が真実だと言うことを「理解」していたのだ。

 

精神に変調をきたし、妄想に取り憑かれたことがあるという人のツイートを見たことがある。

その呟きによればその人は、

「ある日突然『自分はタンスの中から妹に命を狙われていて、そのための電波が衛星から発信されて妹に届いている』ということが『わかった』」

らしい。(うろ覚え)

ひとたび覚めれば荒唐無稽に思われる話も、罹患中のその人にとっては当然に理解した常識、紛れもない真実なのだ。

そして、自分なりの真実の中に暮らす人を、無理にこちらへ引っ張ってくる必要もないのだ。

余程の支障がない限りは。

 

 

 

 

静かな大広間の中で、ほとんどの人々がその場の何にも関心を持たず、自分の中の常識を見つめている。

私は特に何も怖がることはなかった。

むしろこの考えに至って私はやっとホッとしたらしい。

何を言うのか、何を考えているのか分からなかった人々が、途端に近しい存在に思われた。

私には予測のつかないものを見聞きする人々の文脈に、少しでも近づけるかもしれないと感じた。

彼らは私と何も変わらない存在であった。

 

 

祖母がヨーグルトを食べ終わる。

母は「ご馳走様だね」と言って、空の器を祖母の手から取ってテーブルに置く。

祖母はこくんと頷き、また下を向いて静かになった。

「そろそろ帰ろうか」と母が言い、2人で立ち上がると、祖母は急に寂しそうにする。

「また来るね」と言うと涙ぐんで喜んだ。

軽く握手をし、背をひと撫でして去った。

私たちが祖母にとって子と孫だろうと、知り合いと友達だろうと、

いずれにせよ「また来てね」と思ってくれたであろうことが嬉しかった。

 

 

 

父と合流して老人ホームを後にする。

母は帰りに「祖母に話を合わせてくれて助かった」と息を吐いた。

やはり話に困っていたんだろう。

ふと、私も将来両親に忘れられるんだろうか、という思いが胸を過る。

万が一ということはあるし、もしかしたら親不孝にも私が両親を忘れる場合もあるかもしれない。

その時自分には何ができるのだろう。

両親の目は、私の目は、いったい何を見るのだろう。

 

 

そのあと本屋に寄って、車に揺られながらブログを打ち込み、

途中で充電が切れたので寝た。

前回の「妹」は、私にとっての夢だ。

一人っ子である私の1日に溶け込ませた幻の存在だ。

しかし「妹」の行動を考えていると、

だんだん「あれ? こいつ本屋で何してたっけ?」というような思考になってくる。

何してたも何も「妹」はこの世に存在しない。

夢というのは現実と表裏一体にある。

 

 

祖母は以前よりは元気になっているので、まだ会いに行けるかなと思う。

正直もう一度くらいは孫として話をしたい。

しかし次回も友だちとして会うとなれば、それはそれで彼女が何を見ているのかやんわりと聞きたいところでもある。

 

次の訪問は夏の盛りになるだろう。