ゴロゴロ転がり日々行進

気だるい社畜の雑記。

時を駆ける

 

 

田舎というのはとにかく車社会である。

駅がまず遠い。中心市街地にひとつしかなく、

遠い土地だと10キロくらい車で走ることもザラだ。

結果、車で目的地まで行った方が早いとなる。

バスもない。1時間に2本出たら多い方で、

22時以降になんてほとんど通りゃしない。

結果、車なら夜中にどこへでも行けるのにとなる。

そして交通インフラも育たず退化する。

車など持つだけで金がかかるのに、田舎には必須なのだ。

 

 

両親は共働きだったので1台ずつ車を持っていた。

最近退職などもあって片方を手放し、今は父の大きな車が実家の足となっている。

私は免許を取ってから数年間ペーパードライバーとして気楽に過ごしていたものの、

春から社会人になることもあってこのデカい車で運転の練習を始めた。

田舎なので車通りの少ない公道は多く、実地教習にはもってこいであろう。

 

しかし車は何度乗っても慣れない。

鉄の塊がよくハンドルひとつで動くな〜と思いながら怖々やっている。

ハンドルを切るのが遅くて怒られる。

車庫入れがズレて怒られる。

私は実家を出る前に店じまいセールのような勢いで連日怒られるのだった。

先日ようやく小回りのきく中古車が納車されたので、

最近は音楽を流しながら練習や買い物に行くぐらいの

余裕が生まれているが。

 

 

父の車に慣れていると、最近の車はずいぶんハイテクで驚かされることが多い。

Bluetoothは使えるし、エアコンの操作はタッチパネルだし、

カーナビの画面は綺麗だし、地図は最新だし。

両親は機械系がてんでダメなので古い設備を好む。

故に、家の設備は最新でも10年ほど時代に遅れている。

そこに吹き込まれた新風が我々一家を日々感心させっぱなしなのも無理はない。

 

特に父は情報機器などが本当に苦手である。

一応パソコン黎明期の辺りに

仕事でプログラムを組むぐらいのことはやってのけたらしいが、

15年くらい前からだんだんと怪しくなり今や知識の面では私の方が強い。

パソコンの更新なんかも「慣れた仕組みが変わりそう」と渋り、

そのくせマルウェア広告を迷わず踏み抜く。

後で実家に帰った私がてんやわんやになるのももう慣れた。

 

そんな父がナビの地図などマメに更新する訳もなく、

あのエコドライブなど程遠い車は未だに20年前の道を走っている。

昔のナビはデータ書き換えではなく

データの入ったCDを入れ替えて更新する形を取っているので、

面倒くさがった父は20年前を最後にCDの購入をやめてしまったのだ。

まあ、1枚に1万円以上払うのが馬鹿馬鹿しくもなったのだろう。

そのため幼い頃から、建物があるはずの場所になく

道路がないはずの場所にあるという光景も日常茶飯事になっていた。

未だに現役のような顔して表示されるローカルコンビニを目印にすれば

そこはとっくに更地で、

真新しい高速道路を進めば車が山と田んぼの上を行く。

母は何もない真っ白な田畑の表示の上を進む時、

「車が空飛んでるよ」といつも笑った。

父の車は出かけるたびに時を超えて空を飛んだ。

ハリーポッターの映画だかE.T.だか忘れたが、

私はいつもそれらに重ねて、大きな車が20年前の人々の

頭上に飛ぶ光景を空想するのだった。

 

 

母の車も廃車前まではずいぶん長く乗っていて

エンストしたりナビが壊れたりテレビが映らなくなったりしていたが、

父の車は恐らくそれ以上の長きに渡って家族の移動を支えている。

と言っても大きな車体のあちこちにガタが来ていて、

カーナビはとうに正常な日付を示さない。

先週エンジンをかけた時には、雪の降る中

「今日は7月31日です」と言ってのけた。

 

まだ馬力はあるので、父は本当にあの車がダメになるまで

バリバリ乗り回すつもりだろう。

とはいえ父の体力の衰えもあるので、今後そう遠出の用事はなさそうだ。

ひとまず練習中に傷をつけなくて本当に良かった。

あとは自分の車にだんだん慣れていきたい。

父の大きな車は今日もエンジンをうならせ、雪がちらつく田舎の夏空を飛んでいる。