ゴロゴロ転がり日々行進

気だるい社畜の雑記。

旅する切符

 

 

先日実家に帰った。

転居の手続きやら卒論執筆やらを終えて、

ようやく一度家に帰れると一息。

新幹線と電車を乗り継いで片道3〜4時間かかる。

 

地元へ続く電車はあまり乗り心地が良くない。

常に何か得体の知れない匂いが漂う。

北国なので冬場の座席の足元はカッカと温められているが、温められすぎて熱い。

それでもこの電車に乗ると、ああ、もうすぐ見慣れた家だとホッとする。

スマホのバッテリーはとうに切れてしまった。

1両目の車内でいつの間にか疲れて船を漕いでいた。

 

 

ボンヤリ目を覚ました時、まだ地元の駅ははるか遠くだった。

重くて網棚に載せられなかったキャリーケースは、

今もしっかり両足で押さえられたままだ。優秀。

頭を振って起こすと、どうやらどこかの駅に着いたらしい。

人々がぞろぞろと席を立つ。

しばらくボケッとしていたら、向かいの座席シートにぽつんとオレンジの点が乗っていた。

切符だった。

はてあそこには女の子が座ってたような、と思ったら、

彼女は今まさにボタンを押して(田舎の電車はボタン開閉式)

近くのドアから降りて行ってしまう。

切符を引っ掴んで渡しに行こうと思った瞬間、

ドアが自動で閉まり電車が動き出した。

切符はぽつねんとシートの上に取り残された。

 

もう少し起きるのが早ければ渡せたのにと残念に思いながら、

一人旅をすることになった切符を見つめる。

少し曲がって反り返り、電車の振動に合わせてユラユラ揺れている。

届けられんですまんかったな、と念を送ってもしょうがないが、

やることもないのでずっと切符を眺めた。

お金の払い主がいなくても、切符そのものだから無賃乗車にはならないはずだ。

ふと目線を上にずらすと、外はもう暗くなっている。

結露して水滴がいく筋か垂れた部分だけ窓の曇りが取れて、

私の顔はまるで格子から顔を覗かせるように映っている。

外はずいぶん冷えて霧がひどいらしい。

 

 

私はときどき物をなくすのだが、

物をなくすと本当に煙と消えたように見えなくなるから驚きだ。

絶対あるはずの場所になかった時は、

絶望もさることながらむしろ「どこにいるのだろう?」という疑問の方が強くなり、

私はあるべき場所から身一つで放り出されたなくし物に思いを馳せる。

机と壁の隙間でホコリにまみれながらじっと私の手を待つ消しゴムや、

引き出しの中に潜り込んで他の雑貨にもみくちゃにされるヘアゴムなど。

 

なくし物は一人旅をしている。

そして時にひょっこりと気が向いて帰ってくるのだ。

しかし、この切符はもう帰れない。

あの眼鏡の女の子は駅でどれだけしょんぼりしたか。

ポケットにも鞄にもいない切符を、きっと寒空の下で必死に探していることだろう。

どうやって駅から出たかなと心配しつつ、

寂しい一人旅をする切符のことを考え続けた。

 

なくした物は、手元に帰ってくるまでの間、

どこで何をしていたか知る術がない。

もしかしたら父の書斎で見つけた鉛筆は

父が拾って書き物に使ったかもしれないし、

庭にそっと置かれていた小さな指人形は

犬や猫なんかのオモチャにされたのかもしれない。

どんなドラマがあろうと持ち主には知り得ないのだ。

私はあの女の子が知らない切符の行方を知っている。

今まさに目の前で電車の旅をする切符を肴に、無為な思索を繰り広げている。

 

そう考えると不思議だ。

ある少女の観測から外れた場所に私がいて、

ついさっきまで手元にあったはずの切符とともに電車に乗っている。

切符はユラユラと揺られて、

私はぐるぐる妄想を拡げている。

少女だけが何も知らない。まったく不可思議だ。

ひょっとしたら自分の五感の及ばないところにも知らない誰かがいて、

今まさに私がかつてなくした物を蹴り飛ばしているかもしれない。

いやもしかすると今の私のように、

「どうしてこれがこんなところに」と不思議そうに見つめているのかもしれない。

そして私はそれを知らない。

なんだか面白い。

 

 

だんだん地元が近づいてくる。

私はだんだん眠くなる。

各駅停車の電車は止まるたびに

そろりそろりと1人か2人の乗客を降ろし、

とうとう1両目には誰もいなくなってしまった。

隣の車両を覗くと、どうやらあちらにも2、3人しかいないようだ。

夜走る田舎の電車はこんなものである。

ひとりぼっちで揺られていると、不意に女性が目の前を横切った。

若い車掌さんだ。

白手袋がひょいと切符をつまみあげる。

そして車両に私しかいないことを確認して、

切符を連れて出ていってしまった。

後には何も残っていない。

早く家へ帰りたいなと思いながら、

結露して濡れている背後の窓に頭をもたれさせた。

家はまだ10駅以上先にある。

 

切符がその後どうなったのかは知る由もない。

持ち主の女の子だけでなく、私にとってもあの切符はなくし物となって、

どこか知らない場所をさまよう旅人と化した。

見えないところで何をしているのか、傷ついていないか、いつ帰ってくるのか。

親心ってこういうことなのかな。

 

 

私の切符観察はこれでおしまいになった。

このあと電車がガッコンと大きく揺れて止まり、

どうやら動物を撥ねたらしいというので30分以上待つことになるのだが、それはまた別の話である。

スマホのバッテリー切れで家に連絡も取れず、

帰って早々ずっと心配気に待っていた母に事の次第を説明することになった。

やはり親心だな、となんだか嬉しかった。