老人ホームにいる母方の祖母に会いに行った。
前回の記事にも書いた話。
4ヶ月くらい前にも顔は見た。
今回は私の生活が落ち着いて初めての訪問になる。
個室に行くのかと思ったら、ほかの入居者の人々がテレビを見たり何かを食べたりしている大広間に祖母はいた。
父は入口で祖母を遠目に確認すると、大広間手前の待合スペースまで戻ってソファに座る。
前回は対面したが、今回はとうとう近くに来ることさえなかった。
私の母と祖母の、母娘の時間に水を差したくなかったのか。
それとももう亡くなった父方の祖母、つまり父の母が重なって見えたのか。
結局私には分からない。
そう言えば父方の祖母は入退院を繰り返した後に、両親が色々と手を尽くして自宅で介護していたなと思い出す。
亡くなるまで父方の祖母はしっかりと我々家族のことを覚えていたっけ。
介護の話は長くなるのでまたいつか。
遠くから見た祖母はほとんど丸まったように俯いて車椅子に座り、
前に置かれたテーブルに向かってヨーグルトらしきものを食べていた。
同じテーブルにはあと2人入居者の方がいたが、
1人は介助してもらいながら祖母と同じものを食べている。
もう1人はぼうっとどこかを見ている。
大広間は小学校の体育館ぶんぐらいはあったと思う。本当に広い。
テレビが2台あり、どちらも同じ番組を映していた。
入居者の人々はほとんど車椅子に座って、テレビに向かっていたり、何か食べたりしている。それが50人ほど。
しかし大広間は驚くほどに静かだった。
常時言葉を交わす人間は介護士さんくらいしかいなかったし、テレビの音声もずいぶん際立って響く。
静けさに私がビクビクしているうちに、母はずんずん祖母の方に向かっていった。
祖母はもうだいぶ記憶が後退しているようだ。
自分の子や孫のことはもちろん、10年以上前に先立った夫のことも覚えてはいない。
母が祖母に「ばあちゃん、なつこ(私)連れてきたよ」と言ったら、途端に顔を伏せる。
諦めずに「なつこ(大学)4年生だよ」と続けると、一瞬上げた顔が涙こそ出ないが泣きそうな表情になって、また伏せられた。
「4年生?」と聞き返しては涙ぐんでいる。
どうやら祖母の友人だった少女を私に重ねたようだった。
尋常4年生のことと思ったのかもしれない。
それから祖母と母の会話は全く噛み合わないまま進行した。
祖母はずっと、自分の父親に「この間」殴られたことや、兄と父が死んでしまったことを語り続けた。
母はずっと、あと2口残ったヨーグルトの完食を促したり、元気にしているかどうかを尋ねたりし続けた。
まったくの平行線だ。
祖母にしてみればよく分からない(もしくは知人か介護士と認識している)女性がずっと現状を聞いてきている状態だし、
母にしてみれば、1年か2年前まではしっかりと目を見て話してくれた母親が、知らない時代のことを話し続ける人と化したのだ。
仕方のない話ではある。
ひとまず私は母を何となく雰囲気で制しつつ、祖母の話を聞き取って極力合わせることに決めた。
殴られたとべそをかく子どもの頭は撫でる。
兄が死んだと悲しむ子どもの背中はさする。
それを祖母にも実行した。
正しいのかはまったく分からない。
あくまでも私は彼女の孫であるべきかも知れない。
私がやったことと言えば、彼女が見ている記憶の登場人物に徹することなのだ。
後退した記憶を肯定するのにはそれなりに躊躇いもある。
祖母の中でそれがますます彼女にとっての「現実」になってしまうかもしれないからだ。
私はそのことを恐れた。
私の分からない文脈で生きていく祖母が、手の届かない範囲に行ってしまうのが怖かった。
ただ、骨ばった背中へ掌を滑らせているうちに祖母は落ち着いた。
母に助けられながら残り少ないヨーグルトを口に運ぶ祖母を横目に、大広間を見渡す。
入居する誰の目も、どこも見ていなかった。
テレビの前に座る人々はテレビの向こうを観賞しているし、
それぞれのテーブルで座る人々も、隣同士で言葉を交わしはしない。
そんな静かな大広間で私はその時、ここにいる人々はほとんど皆夢を見ている、と唐突に思い至った。
私は寝るとよく夢を見る。
夢の中ではどんな理不尽も当然の常識となる。
明晰夢でない限り私もそれに疑問を持たない。
1+1=3であることを理解し、了解して夢は進んでいく。
起きてしまえば当然1+1=2で、なんて訳の分からない夢だろうと思い直すのだが。
夢の中では1+1=3が当然の事実だ。
覚めない限りそれは本当に正解で常識だ。
それを思うと、俗に言う「ボケて」いる人々の状態は、覚めない夢を見ている状態にとても似ていると思う。
祖母にとっては、
「自分は幼い少女で、この間は父にぶたれ、最近父と兄が死に、今日はおやつ中に知人女性が友だちを連れてきた」
ことが紛れもない現在の真実なのである。
私たちに見える彼女は95歳を超え、老人ホームで車椅子に座り、孫に背中をさすられて、娘に助けられながらヨーグルトを食べていた。
しかし祖母は前者が真実だと言うことを「理解」していたのだ。
精神に変調をきたし、妄想に取り憑かれたことがあるという人のツイートを見たことがある。
その呟きによればその人は、
「ある日突然『自分はタンスの中から妹に命を狙われていて、そのための電波が衛星から発信されて妹に届いている』ということが『わかった』」
らしい。(うろ覚え)
ひとたび覚めれば荒唐無稽に思われる話も、罹患中のその人にとっては当然に理解した常識、紛れもない真実なのだ。
そして、自分なりの真実の中に暮らす人を、無理にこちらへ引っ張ってくる必要もないのだ。
余程の支障がない限りは。
静かな大広間の中で、ほとんどの人々がその場の何にも関心を持たず、自分の中の常識を見つめている。
私は特に何も怖がることはなかった。
むしろこの考えに至って私はやっとホッとしたらしい。
何を言うのか、何を考えているのか分からなかった人々が、途端に近しい存在に思われた。
私には予測のつかないものを見聞きする人々の文脈に、少しでも近づけるかもしれないと感じた。
彼らは私と何も変わらない存在であった。
祖母がヨーグルトを食べ終わる。
母は「ご馳走様だね」と言って、空の器を祖母の手から取ってテーブルに置く。
祖母はこくんと頷き、また下を向いて静かになった。
「そろそろ帰ろうか」と母が言い、2人で立ち上がると、祖母は急に寂しそうにする。
「また来るね」と言うと涙ぐんで喜んだ。
軽く握手をし、背をひと撫でして去った。
私たちが祖母にとって子と孫だろうと、知り合いと友達だろうと、
いずれにせよ「また来てね」と思ってくれたであろうことが嬉しかった。
父と合流して老人ホームを後にする。
母は帰りに「祖母に話を合わせてくれて助かった」と息を吐いた。
やはり話に困っていたんだろう。
ふと、私も将来両親に忘れられるんだろうか、という思いが胸を過る。
万が一ということはあるし、もしかしたら親不孝にも私が両親を忘れる場合もあるかもしれない。
その時自分には何ができるのだろう。
両親の目は、私の目は、いったい何を見るのだろう。
そのあと本屋に寄って、車に揺られながらブログを打ち込み、
途中で充電が切れたので寝た。
前回の「妹」は、私にとっての夢だ。
一人っ子である私の1日に溶け込ませた幻の存在だ。
しかし「妹」の行動を考えていると、
だんだん「あれ? こいつ本屋で何してたっけ?」というような思考になってくる。
何してたも何も「妹」はこの世に存在しない。
夢というのは現実と表裏一体にある。
祖母は以前よりは元気になっているので、まだ会いに行けるかなと思う。
正直もう一度くらいは孫として話をしたい。
しかし次回も友だちとして会うとなれば、それはそれで彼女が何を見ているのかやんわりと聞きたいところでもある。
次の訪問は夏の盛りになるだろう。