さっき開設したばかりの日記帳に吐き出したいものがあるので早速書く。というかこれが開設のきっかけだったりする。
ちょっと寂しい話になるが。
私が18の夏、祖母が亡くなった。
救急車で運ばれたのは私が小5の時だった。7年くらい闘病していたことになるのだろうか。
ずいぶんと長いあいだ色々なものに苦しんだ割には、逝く時は老衰だった。
92歳だったか。毎年祝っていた誕生日も、晩年の1、2年はうやむやで(通っていたデイサービスでは祝ってもらっていた)、「そんな気がする」ぐらいの感覚でいる。
死の一週間前に「そろそろヤバい」と聞かされて、新幹線で実家に戻り、ムニャムニャ喋る祖母の顔を見て、その日のうちにアパートへ戻った。
「夏にまた帰ってくるからね」
帰り際に声をかけると、
「気ぃつけろよ」
と返ってきた。
寝言みたいな喋り方で、言っていることの大半は何だかわからなかったのに。
それだけは何度もハッキリ伝えてきた。
心配性の祖母らしいと思った。
一週間後、亡くなったと電話で聞かされた私は大急ぎでまた実家に戻ることになる。
夜には亡骸と対面し、翌朝、涙もそこそこに弔辞を書き始めたのだった。
その時の文章を、この20になってしばらく経つ秋に、なぜだか無性に読みたくなった。
電話で母に頼まれて、実家に持っていった私物のノートパソコンで打った弔辞。
内容はまあよくある感じ。
もっと色々なことを教えて欲しかったとか、幼い頃に遊んでもらったこと覚えてるとか、ありがとうとか、最期に会った時なんて言ってたの、とか。
書いた時のことも思い出した。
もっと思うところがあったのに、それを文章化することは時間や語彙力不足のせいでかなわず。
書いている途中で、自分が死んだ誰かに宛ててメッセージを書いている事実を目の当たりにして手が止まり。
死に目に会えなかった悔しさで泣いて。
無表情で涙を拭いつつ打ち終わった文章をディスプレイに出して、パソコンごと父の元に持って行き、見せ、OKを貰って。
印刷したA4の紙を4つに折りたたんで黒いバッグに入れたのだ。
データの最終更新日時は命日の次の日。
それから今に至るまで、一度も開いたことはない。
紙なんかはどこかに捨ててしまった。
18の私が書いた弔辞が、私のノートパソコンにだけ、丸のまま残っている。
何故今さら読みたくなったものだろうか。
離れてひとり暮らしということもあり、もう祖母がいないことは日常の当たり前になっている。
儀礼的には何度もやらなくてはならない法要も、四十九日に両親がまとめて済ませた。
三回忌の法要には都合で行けなかったが、それすら「仕方ないや」で済ませてしまえる。
ただ、あの夏から2年が経っても、祖母の死が私の心のどこかに影を落としていることは確かだ。
自分の無能さを嘆き、受験勉強やら何やら様々なことに疲れ、心の底から信じていた人間に10年以上裏切られていたことを知り、死にたいと願ってきた18才。
進路が決まって全てに燃え尽きて、回復もままならぬ間に祖母が亡くなった。
あの夏から私の精神は、大人に成りきれない18のままで止まっている。
今の私は20才、大学3年生。
もうすぐ自分の進路を決める時が再びやってくる。
やらなくてはいけないことが沢山ある。
そして、それに疲れてもいる。
楽しいことだけしていたい。
何も考えずに眠っていたい。
あわよくばそのままの勢いで死にたい。
18の夏にも思っていたことだ。
私は、無理やり自分の脚を立たせ、無理やり前を向いた時の気持ちを思い出したいのかもしれない。
でも、たぶんこれは上手くいかない。
18の秋には結局精神を病んで何も出来なくなり、部屋が台風一過のようになって、アパートに母を呼ぶ事態になったからだ。
実際今年も母を数日家に呼んだ。
去年は呼ばずに済んだけど。
18の年を追体験しながら、私は今日も一日ぶん年をとる。
眠ったらまた朝が来る。
単純な私は、昔ならどんなに悩んでも寝れば少しはマシになったものだが、ここ数年はそれが追いつかない。
朝が辛くてたまらん。
そんな感じでダラダラ夜更かししては丑三つ時になっている。
一日があっという間に終わり、一週間が終わり、一月消化し、もう今年も残り3ヶ月。
過ぎてしまえば10年もすぐだった。
こりゃあっという間に死ぬぞ(画像略)とは常に考えている。
これから何して生きていこうか。
私に何が出来るだろうか。
最後の時には何して死のうか。
それはいつになるだろうか。
今夜もそればかり考えて夜を消費している。