突然だが、私は「かわいい女の子」という概念が大好きだ。
2次元3次元問わず。
かっこいい成人女性/男性、キリリとしたおばあ様、かわいいおじいちゃん、髭のおじさま、快活なおばちゃん、若々しい青少年、眠る赤ちゃん、コロコロのいぬねこ、綺麗な花etc……私は基本『良い』とされるものは気に入るとすぐ大好きになってしまうので、好む概念を挙げていくとキリがない。
しかしそんな私のガバ琴線においてブッチギリ1位を保ち続けるのが「かわいい女の子」なのである。
こういう話をし始めると、「あなたもかわいくなりたいの?」「かわいい子って性格悪そうじゃない?」「ショタもいいですよ!」という声が時々出てくる。
うるせ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!
しらね〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!
私の話はしていない!!!!
性格の話もしていない!!!!
ショタの話もしていない!!!!!!!!
でもそれはあとで教えて
今はただ『かわいい女の子の話』だ!!!!
二度と間違えるな!!!!!!
めったに使いたがらない見出し強調を使う感じで、かわいい女の子の概念がとにかく好きなのである。
まあ普通に綺麗にはなりたいし性格悪い属性も好きなんだけどその話はまたいつか。
ここからは各方の「女の子」の定義で聞いてもらって構わない。
かわいい女の子の何がいいって、まずかわいいことである。
バカみたいだがそれに尽きる。
一重だろうが二重だろうが、つり目だろうがタレ目だろうが、面長だろうが丸顔だろうが、ぽっちゃりだろうが痩せ型だろうが、高身長だろうが低身長だろうが、「かわいい」と感じる女の子にはそう感じさせる何かが必ずある。
笑顔がいいとか、ほっぺたが赤いとか、目が大きいとか、まつげ長いとか、髪が綺麗とか、手が綺麗とか、足が長いとか、元気いっぱい動くとか、その要素は様々だ。
そういう要素を何かひとつでも身につけている女の子はかわいい。すでにハチャメチャかわいい。
んでこれが複数搭載だったらもうそれはかわいいの暴力と言わざるを得ない。
かわいいの暴力を目の当たりにした人間は、ガァンと心に殴られたような衝撃を受ける。こんなかわいい子がこの世にいるのかという感じになる。
それは素晴らしい映画や雄大な景色を見た時の驚きにも通ずるところがある。
この感動によって時に気力が回復したり、逆に魂が抜かれたようになったりもするのだ。
そんな衝撃を与えてくれるかわいい女の子はとにかく影響力が凄まじい。
そして、甘やかしたい、眺めていたい、笑顔にしたい、あわよくばエロいことをしたいなど、周囲が何を思おうとも、かわいい女の子は「ただそこに存在しているだけ」だ。
エロいとかなんとかは周りの視点が各々決めることで、ただ1人の人間としてかわいい女の子はそこに在り、日常を暮らすだけなのである。
そういう、日常の中でかわいさによって異彩を放ちながらも周囲の視線に寄らない姿も良い。
また「女の子」という存在は老若男女問わず好まれる概念であるようにも思う。
余程の女性恐怖とか憎悪拒絶の念でもない限り、かわいい女の子を見て嬉しくならない人間はいないのではないか。今日1日いつもより楽しく生きられそうな気になるのではないか。
この辺は勝手な持論だが少なくとも私はアホみたいに嬉しい。
余談だがこないだ受けた講義で綾瀬はるかさん似の美人さんが前の席に座っててメチャメチャ嬉しかった。満足してその講義は寝た。
今はこの話も脇に置いておく。
強引にまとめると、かわいい女の子というのは、正義なのである。
性の対象とかそんな話じゃない。
ただ「かわいい」のだ。
かわいい女の子はかわいさによって人々を勇気づけ、感動させ、骨抜きにし、無意識のうちにも目で追わせる。
私はその影響力や、彼女たちが今生きている事実を讃えたいのである。
最近Vtuberのキズナアイさんが性的とかなんとかで色々と燃えているが、そのニュースを追いかけているうちにキズナアイさん自体を調べ始め、「めっちゃかわいい〜」となったのでこの日記を書いた。
キズナアイさんはかわいい。私からすると別に性的ではない。しかしそう見る人から見れば性的なのだろう。
先にも述べたように、かわいい女の子はただそこに存在しているのみである。「性的」「素敵」「はしたない」、もっと言えば「かわいい」だって、外からの評価に過ぎない。
キズナアイさんは電脳空間に、イノセントな「女の子」として存在しているのみなのである。
かわいい女の子は良い。
それ以上難しいことは考えたくない。
そんな時間があったらずっとかわいい女の子を見ていたい。
私はそういう人間なのだ。
以上!
P.S. でもVtuberで一番好きなのはシロちゃん